吹奏楽など合奏の場面で指揮者が
「そこもっとウタッテ~」
よく耳にしますよね。
でも具体的には「ナニをドウ」してほしいのでしょうか?
それが解らなければ依頼に応えようがありませんよね。
「ウタッテ」解って言ってるのかな?
言った人自身がナニをお願いしてるのか明瞭には解ってない場合が多いと思われます。
どういうこと?と訊くと
「もっと心を込めて」
と答えられることがあります。
答になってません。
「心を込める」とはきっと、
・今から行う作業に対して精神力の全てをかけ、雑念は払うこと。
・なにかしらの想念が、作業結果に反映するよう工夫を凝らすこと。
…といったことなのでしょう。
そんなことも答えてくれないことが多いですよね。
「心を込めろって言ったら心を込めりゃいいんだ!」
とキレられかねない(^_^;
心を込めた結果として、
・音楽に於いてどんな出来事を起こして欲しいのか。
・その為には、ナニに対してどんな作業をしてほしいのか。
…を具体的に説明してくれないことには答となりません。
なぜならそれら曖昧な依頼は、受けとめる人によって解釈が様々だからです。
つまり発言者が期待した音楽的結果に辿り着く可能性は極めて低い。
具体的説明が欲しいんだけど…
「ここでコンナ音にしてくれ」と具体的に伝えたり、
すべき作業、その場所・程度を適確に指示したり、
そうすれば、期待する結果に辿り着く可能性は上がります。
それでも辿り着かない場合は、奏者個々の技術的問題なのでしょうから、
各自で練習法を工夫してもらえばよいわけですね。
どうすればウタえる?ウタってもらえる?
さて器楽奏者が「ウタウ」とはどういうことなのでしょうか?
出た音になにかしらの変化が与えられてこそ、ナニカスルを達成できるわけで…。
ということは演奏音の
・音圧
・音色
・音高
に反映があるナニカをスルってことですね。
言い換えるなら、シンセサイザーで記譜通りの
・高さ
・長さ
だけを表現したような演奏にはするな、ってこと。
じゃぁ、どうしろってぇの?
その点に説明が必要と思うのです。
旋律を構成する「音」の時系列的出来事の観察点はザックリ言えば、
・発音
・伸ばしてる間
・音のお尻
の3つに分けられるのかと。
それぞれの箇所で、
・音圧
・音色
・音高
に変化を与えるならば、単純に記譜された音高と長さだけを再現したわけではない、となるわけ。
ですが、どうすればイイのか、はどのように伝えられるものでしょうか?
3つ並べてみます。
1)
各ポイントで理想とする出来事を、
デシベル、ヘルツ・セント、ミリセカンド
といった単位と、倍音構成傾向の図示などで伝える。
2)
あの人の演奏するあの曲のあの箇所でのあの感じ、
と、実例をCDなどで聴いてもらう。
3)
「これ真似して」と楽器で実演する。
相手によって伝わりやすい方法でよいのだと思います。
いずれにせよ、その理解あるいは再現が難しいのが解ったら、
実現するための基礎練習を工夫して実施すべきなのでしょう(受けとめ方も含めて)。
つまり、
・具体的な説明
・その理解度と再現性の観察
・結果をより佳くする工夫
…そういったプロセスを踏めば初めて「ウタッテ~」という依頼は実効性を伴うと思われます。
なんですけどね、、
相手によっては具体的な説明よりもテキトウにモヤモヤしてたほうが、
「自分で探して見つける」
という力を引き出せる場合もありますから、それを見極めるセンスも磨かねばなりませんね。
殊に教育現場では、工夫して見つけ出す気持を喚起するのは大切なことでしょうから。
そういう場合は、実は意外に簡単なことで、、
例えば、
「その箇所、メロディーを演奏するのをノビノビと愉しんでるのが伝わるように!」
って言うだけで、それは曖昧だけれども、タノシミを前向きに探そうとする気持はよい効果を生むかもしれませんね。
とは言え、、
訊かれたら説明をする。
それは指揮者自身が発言の内容を理解できてるか確認できる機会。
答えられない時には答を考えるべきかと。
それが目指す結果の姿を明瞭にイメージする手立てで、
理解して貰える依頼の説得力に繋がるのかと。
そして、今後そういった質問が出ないよう、曖昧な言葉を使わぬよう努力すべきものなのかとは思います。
体験的実際のメモ書き
以下、蛇足。
ちっちゃい頃、バイオリン教室の先生に
「それはイヤラシイ、歌ってると言えなくは無いが趣味は悪い」
と言われたのを憶えてる。
いわゆる「後押し」。発音後にフイっと音圧を上げるって奴。
いわゆる「泣き」っぽい表現と思われやすい奴。
70年代、テレビから聞こえてきた歌謡曲や、ムード音楽の影響は大きかったのだろうな。
とはいえ、今それらを聴いてみるとイヤラシイ歌い回しはさほどしてない。
チビッコのセンスで「そう聞こえてた」ナニカシラがあったのでしょう。
で、それは多くの人に有り得ることとも思えます。
高校生の時サックスの師匠はしきりに言ってた
「まっすぐ!まっすぐ!連綿たる時の流れに旋律を乗せるのだ」
「とにかく先ずは作曲者の意図をクリーンに形にせよ」
といった意味のことを。
留学してついたジョー・ヴィオラ先生も最初のレッスンで、
「なんじゃそのヴィヴラートは」
「よく聴け、キミのやりたい音楽の先輩達はそうやってるか?」
「それは意図的か?自動的にそうなってるなら無意味だ」
帰国後、教室で教えるようになってしきりに言うこと。
「油絵を描くとき最初にキャンバスを真っ白く真っ平らに塗ります。そうしてから色を欲しい所に乗せていくものです。」
ステージでも録音でも先ずは必要な
・高さ
・長さ
・大きさ
・音色
を、それぞれ真っ直ぐに形にするのに努めてます。
まるでシンセサイザーどころかカシオトーンで弾いたみたいに。
そうして初めて、色を塗るべき箇所が見えてきます。
バンドでも一瞬のセッションでも同じ。
それを如何に短時間に掴んで形にするかがプロの仕事。
ですが、ゆっくりと時間をかけられる場合はプロもアマも変わり無い。
まず真っ白を作ったら共演者と共にジックリと色足しを様々に工夫してよいものです。
10年経っても20年経っても色足しを愉しみ続けられるバンドもあります。
だから「うたって~」と言ってすぐに芳しい結果が見えなくてもイイんじゃねぇですかね♪
大切なのは思い遣りなんでしょね
☆この項は後日追記 _ 20190821☆
この文章を書けるのは、こういったことをちゃんとできる指導者を垣間見てきたからです。
で、大切なことはね、、
指導的立場に居るとしても、論理を究めたり言葉を尽くしたりすることは音楽家の職能の中心ではないから、
相互理解に向けての歩み寄り、つまり理解が至らなかった時の双方のオモイヤリなんだと思います。
☆追記ここまで☆
作家の意図を読み取ること
そうそう、如何に歌うか、を考えるにあたって、
目の前の楽曲に込められた意味合いを読み取れるようにするのは大切。
つまりアナリーゼってこと。
インプロヴィゼーションに於いても、自分の意図を明瞭にイメージするのが音を出す前には不可欠。
それが無いと音楽的説得力は持ち得ませんから。
また詳しく書くつもりですが取り敢えずその点、筆者にとってのバイブルを紹介しときます↓熊田為宏先生の諸作です。
↑への解りやすい書評
https://ameblo.jp/kawawamisato/entry-12335333716.html
https://hornpipe.exblog.jp/8826490/
熊田為宏先生について
http://cm-song-movie.blogspot.com/2011/01/nhk.html
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