J.S.バッハが大好きで少し嫌いでも憎みきれぬ、いや、ゴメンって話

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つまるところ、
「ゲーノー人が人の姿をして歩いてるわけでない、
  芸能人である前に人だよ」
って話です。
人が芸能を発揮してるわけで。

あ、いわゆる芸能人でなくとも、先ず「人」ってのは、
芸事、芸術事に関わる全ての、、あ、いや、
どこでどう生きていようと、全ての人誰もが、ですわ、やっぱ。

 (あ、これ、実用的でない雑記です)

音楽を続けてる人は世の中を変えようと思ってるらしい、 
と思ってるらしい人ってけっこう居るらしい。 

そんな音楽人には滅多に会わない。 
「音楽」をアート・芸事関連あらゆる「○○」に置き換えても。 

そう思ってる人に合わせて、そう思って貰えるよう振る舞う人も居る。 
稀に本当にそう思ってる人も居る、、かもしれない。 

○○の当事者は大抵、したいことをしてるだけだ。
ナニカの目的のために始めたことなら、その目的をより効率良く果たせる方法が他に見つかれば○○に居ついてないわけだから。

むしろ、なにかしら別の目的を果たすというのは○○には苦手なことのはず。
だから、居ついてるってことは…ね?

~*~*~*~

じゃ、プロの○○って、お金の「ため」にやってるんじゃないの?
はい、そうですが、そうじゃないです。

喜んでもらったり表彰されたりとかって、全てね、
たまたまの結果でしかないのよ。ギャラも同じ。

○○の人はさ、ナニカシラ形にしたい、という衝動のままにしたいことをしてるわけ。その衝動を抑えきれずに行い続けてるわけよ。

誰が見てなくても評価などされずとも続ける行いなわけ。
たまたま見た人が居てくれて、たまたま立ち止まってくれ
たまたま反応してくれて、
その反応の形がお金だったりすることもある。
それが重なるといつのまにかプロと呼ばれたりする。

ここ肝心。

プロと「呼ぶ」のは周りの人達。
本人が「はい、こんにちは私がプロです。」とは言い出してないんでないかな?

皮肉なことでね、
「おらさプロさなっぺ」って言い出した人こそ、そう呼ばれるようになるって確率は高くは無いみたいね。

とはいえ、
若い頃から「自分はそうなる」と目指して、ヴィジョンを描いて、本当にそうなった友人も身近に居る。
自分にはそういう観点はなかったので感心し尊敬するばかり。
なのだが、彼もそう思う以前に、したいことをし始めたのには変わりが無い。

周りからプロと思って貰えて、食い扶持を頂けることが重なると、それはそれで向上心を発揮する人も居るわけね。
もうちょっと食い扶持を多めに安定して頂けるように工夫したり頑張ったり。

はい、そうなるとお金「のため」ですね。

なのですが、、不思議とウマクできたもので、
儲けようと思った途端に創作はイイ感じに進まないものです。

そこでその面については、お金に換えるのが上手なプロに任せるってことになるわけですね。画廊さんや音楽事務所や…ってこと。

結局、○○な人は、元々したいって思ったことを一心不乱にするのが佳い結果への近道みたいです。

~*~*~*~

突然ですが、筆者はバッハさんが大好きです。

どの作品に触れても、純粋に音楽の物理の不思議と立ち向かっていて、音楽以外に目的が無いと思わせてくれます。
その上で高度な頓智とユーモアも効かせられる辺りが、足を向けては眠れない天才具合。

なんだけど、そこそこ宮廷とも付き合いがあり教会には長らく食べさせて貰ってたわけじゃん?
だから、ある目的の為に曲を作ったりもしたはずだよね。

なんてウッスラ思ってましたが、、

ちゃんと知らないとイイカゲンなことを言っては失礼。
今からでも伝記なぞ読んでみねばと思い、とりあえず、、

 「バッハの生涯概観」
 (京都の ensemble voce という宗教曲合唱団のページより)
http://www.prmvr.otsu.shiga.jp/EnsembleVoce/Bach/Bach3.html

、、あぁ、やっぱりだ、
日々の必要に応えつつも一心不乱にしたいことをした人の一生だわ。やはり足を向けて眠れない猪突猛進具合ですな。

はい、やっぱり大好きです。
日々の必要に応えるってのはさ、○○な人以前に、世の中で暮らす「人」だってことね。

~*~*~*~

ちょいと話がズレるけどね、
過去数週間で「芸能人なのに」ってよく目にした。

芸能人である以前に「人」なんだよ。
どこに住んでいようが、なにを食べていようが、なにを生業にしようが、どんな趣味や思想傾向を持とうが、人は人。

世の中の出来事を、どう受けとめ、どう考え、ナニを言おうが、
誰もが互いに変わらず「人」ですから。

でさ、「である前に人」だからね、
○○な行い以前に、言いたいことがあるなら言うわけさ。
それを言う時に、たまたま○○な人だから○○に乗せて言うことになったりするわけじゃん?
その「人」はさ、○○じゃなくても、言いたいことがあれば別の方法で言ってたはずだよ。

○○な人のくせに、世の中のことに口出すんじゃねぇよ、
ってことを言える人が居ますね。
気の毒に思います。
そのままその方にブーメランになるでしょうから。

河原乞食って言葉があります。
現在では、
役者連中が冗談交じりに自分達を卑下して言いつつ、実は胸を張るような時にも使われる言葉かと。

そういった言葉は、本人達が使う分には自嘲やユーモアを含んで伝わるものだが、
機微を感知できない者が外から言うと、不愉快なだけの言葉である。

というか、蔑みの意図を含んで使ってるとしか思えない。
「口出すんじゃねぇよ」と言える者の心根にはそれを感じてしまうのだな。

 「河原者」ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E8%80%85

でね、それを言えちゃうってことは、その者自体の程度を感じさせてしまう。
誰かを軽蔑できる者は、同じだけ軽蔑されてしかるべき中身なのでしょう。
鏡ですものね。

ザマァミロ、イイキミダ、
そんな言葉を口にする者は、その言葉のまま自分を蔑み続けてるように見えます。だから気の毒なんです。

~*~*~*~

自分も ○○な人の1人みたいなんで、そういった河原乞食発言を受けることはあります。
その都度、あぁ気の毒にな、って思うだけなんですけどね。

したいことをし続ける、
のが、なんとか生きてくことの基本になってしまってるので、
気に病んだり、カカズリアッテル閑はありません。

申し訳ありませんが、したいことをし続ける、のを遮られそうな時には、反応せずにスルリと避けさせていただきます。

ザマァミロって言いたいタイプの方は、相手が嫌がった顔をするとかな反応が好物みたいですね。
はいゴメンなさい、貴方の愉しみの為に反応してる閑もありませんから。

人の不幸や不愉快ばかりを愉しみに生きてる人を見ると、本当に可哀想に思えます。
どうか周囲に迷惑はかけませんように。

~*~*~*~

今どきの若いもんは、、
って言葉に代表されるよう、世の中ってぇのは何百年も変わらない繰り返しって面もあるわけで。
バッハさんも罵声を浴びたことはあったのでしょうな。

あ、伝記をちゃんと読んで確かめねば (^_^;
でもね、読まなくても解ること。
「感動させてやろう」とか
「この作品で世の中を変えてやろう」
とかバッハさんは思ってなかったと思うよ。

たまたまそれっぽい評価をする人は居ても、それは親切な野次馬。
本人は、作りたいものを創り続けただけなんじゃないかな。
そういう親切な人が居てくれると、それはそれで「たまたま」って波及が拡がる可能性にもなったりね。

そんなことも佳かれ悪しかれ愉しめる心持ちを持てるとよいのでしょうな。
ともあれ、健康で居ましょう。

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