音楽教室とJASRAC_教材作曲者の権利は?

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本日数時間後、注目の裁判に初めての判決が下されます。
これが最後のタイミングかも、なので慌てて書きます。
この観点で語られたものを見かけないので。
つまり、世の中的にはナナメな物言いをします(2020/02/28 筆)

主旨を最初にザックリと書きます。
演奏上達の教材として作られた音楽作品ってあります。
それらをこの裁判で、鑑賞を旨とする一般的な音楽著作物とイッショクタに扱わないで欲しい、
ってことです。

※裁判の概要
https://digital.asahi.com/articles/ASMDF3SD2MDFUTIL017.html

えっと、ここら辺に教室っぽい写真を挿入しなきゃな、って思いつつも意外と丁度よい写真は無く、、かといって師匠との写真も載せづらく、、
彼なら文句は言わぬだろって写真を挟んでおきます(^_^;
 Sくんアリガトね、って勝手に感謝してスマヌ、キミの笑顔が素晴らしすぎるからさm(_ _)m

その昔、
「教材用に書いた譜例は楽曲作品では無いし、著作物でもないっ!」
「え?JASRAC に言っちゃったの? なんてことしてくれるんだ!」
って大声で恫喝されたことがあります。
某大型教室チェーンの著作権担当(自称)の下っ端に。
ナンテコトシテクレルンダ、には、JASRACが音楽作品として扱うことを了解していて、それを避けたいという意図が透いて見えました。

ちなみにその会社に請求書を出す場合、当時は
「当社作成の書式でお願いします」と用紙を渡されました。
その紙の端っこには
「関わる著作権は全て○○(社名)に帰属するものとします」
と小さな小さな文字で書かれてました。
そこに二重線を引き訂正印を押して出すと出し直しを要請されたこともあります。
気付かない人も多くいたはずです。
日本語としては読めても、その意味を解らなかった人も多かったでしょう。

そんな体験があるので、ここでこんなメモ書きを書いておかねば、と思うわけです。
(重要なポイント。この時点で当該企業の固有名詞を筆者は書いてませんよ)

ちなみに「住友生命サウンドロゴ訴訟」では2秒半の一節が事実上は商標という知財として、その著作物性が認められるという和解に至りました。
参考までに詳細は↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B4
とか、
https://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2007/01/post_d1e9.html
より深い考察↓
http://www.iip.or.jp/juku/pdf/th01-02/period01-02-07.pdf

で、上記エピソードの折に筆者が
「教室で使う教材の素材」
として提供したのは、
 a)少なくとも2小節以上で、殆どがコード進行も添えたもの、
でした。
 b)大量のソレを並べて、説明文章の提案も添えました。

a)について筆者はその一つ一つが音楽作品だと思ってます。
JASRACの担当職員に「これは音楽作品ではありませんか?」
と訊いたら「です」と応えられました。
もちろん、立場としてそう応えるのが職務としては相応しいのも当然です。
が、
教材用譜例は音楽作品では無い、
と言い切れる理由説明は筆者には不能です。

※※※※※
教本マニアなもんで、パクリの無いようオリジナルな作品を創りましたともさ。もちろん人生の結果の絞り出しなので、過去の様々なものの反映だけどね、それでも、手ぶらで自分の口からオエって吐き出したものはオリジナルなんだ、とは思ってます。
※※※※※

b)については、筆者ひとりでなく複数人での共著という形ではありましたが、書籍としての著作性は認められるものと思ってます。

で、
作業依頼を最初に承けた段階で、
 ・それらを著作物とは扱わない
 ・制作作業は著作ではないと扱うので、著作権財産権の譲渡としてでなく作業工賃として対価を支払う
…といったことは明かにされていませんでした。

今思えば、最初の段階でそれらを明確にしてから引き受けるべきでした。
その点は「住友生命サウンドロゴ訴訟」と同じ問題でした。

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肝心なこと

本稿、慌てて書いたのでトッチラカってますが、
主旨を解っていただく為に最初に説明しとかねば、なこと。

鑑賞されるのを旨とする音楽作品と、
教材として使われるのを主とする作品との主な違い。
それは、
後者は、主に消費される場面が教室あるいは個人練習の場のみ、
ということです。
その点が前者とは大きく異なります。
そこがオサエテおいてほしい肝心なとこです。

筆者はたまたま、教材系執筆にクリエイティビティとモチベイションを強く持つので、こういう視点になるのです。

最初にそこを御理解いただけると以下のトッチラカリも御勘弁いただけるかとm(_ _)m

どんな裁判?

JASRACこと日本音楽著作権協会が 2017年2月に表明しました、
これからは音楽教室からも楽曲使用料を徴収します、と。
今まで何十年も徴収してこなかった相手からです。

Jの言い分に依れば、
著作権法の定めによれば、もともと徴収すべき対象だった。
それをなぜか徴収しないことに長年なっていた。
これからちゃんと取ることにします。
教室での楽曲使用は公衆へ演奏を提供するのと同じだから、作者の有する「演奏権」への対価を使用料として請求しますよ。

教室側の主な言い分は、
・鑑賞を目的として不特定多数に向けて有償で供する、という使い方でないから
・教育に供する現場での楽曲使用だから
…徴収は相応しくない、というもの。

なぜ急に徴収を言い出した?

ながい間、法律に決められた通りの徴収をしてこなかったのは怠慢なのか、なにかしらの思惑あるいは密約でもあったのか、それは知りません。

以下推測。
(本稿のナニモカモですが、とにかくザックリ書きますよ)

この十数年でJの使用料収入が激減したのが一因なのでしょうね。
・パソコンとiPod(現在ではスマホに内在される機能)の普及で、カセットテープ~MDの時代では有り得なかった、高品質のコピーが家庭でできるように。
 →音盤商材の売上の微かな減少

・インターネットの普及で、コピーされた音源がそれ以前では有り得なかった速さと広さで拡散されるように。
最初は後ろめたさと共に「Peer to peer = 端末間直接接続」式のファイル交換が流行った。
ホームページ作成が簡単になると、個人のページでコピーされた音源・映像・歌詞などの気楽な無断使用が広まった。
やがてYoutube など拡散のステージも増えた。
 →音盤だけでなくデータ配信も含めた結構な売上減少

前者については、著作権の意識向上宣伝と共に「音楽専用 CD-R」など、コピー機器製造業との協議の果てに使用料徴収の工夫がなされました。

後者では、新たな状況に対応すべく、処罰のアピールだけでなく徴収システム構築の努力はされていたようですが、充分に間に合ってるようには見えない(見えないってのは筆者の感想ですよ)。

ですが、根本的原因はそれら以上に、
放送娯楽ばなれ・コンサート娯楽ばなれなどに繋がる、世の中の嗜好の多様化は大きいのではないかしら?

その結果、昭和時代には使用料徴収の主だった場面からユーザが減ったのかと。
で、本来なら徴収できるはずの所から取ってなかった、そんな所から徴収を実現する、その対応も世の中の変化よりはずっと遅かった。
ってことじゃないかな?

ちなみに、これはちなみになんですけどね、
減収の対応として、楽珍そうで醜悪な徴収行動が目立った、のもJの失策かと。
つまり例えば、
客席数50あるけど実際の客は3日に1人、みたいな地方都市の小さなジャズ喫茶から、椅子の数どおりの使用料を取り立てようとする。
過去数十年そうしてなかったのに俄に、強圧的な顔を見せながら。
そんなことが散見され、反発を大きく招きましたね。
そんな状態も、この裁判を見護る世の中からの見え方にはネガティブに反映してしまうのでしょうね。

音楽著作物が商材となった歴史

筆者の知識のみでザックリと書きますよ。

音楽は人類誰に対しても平等です。
受けとめて愉しんだり、奏でたり創ったり、誰にも自由なはずです。
ところが、たまにはその地域で特に秀でた者は現れます。
スポーツの起源と同じと思えば解りやすいですね。

例えば、イノシシを穫るのが誰よりも速く多く穫れる者は、その地域で感謝され、穀物や野菜との物々交換の中身も比例したでしょう。
音楽(に限らず諸芸一般)でも同じだったんじゃないかな?

時代や地域文化により、シャーマンになったり宮廷楽士になったり。
創り奏でる者は、一義的には己の本能に基づきそれを行うが、世の中がたまたま評価すれば生活に反映することもある。
経済的結果になることもあれば、政治的に利用されることも。
やがて、それを生業にする発想にも繋がったことでしょう。

ヨーロッパで資本主義の考え方が起こると、それを成立させる為に基本的人権と民主主義って考え方も広められることに。
芸術の民主化も、より広まるわけね。
そうすると、封建時代には支配者階級のものだった愉しみ方も庶民に広まるわけ。

すると今度は「教える・教わる」って関係も広まるのね。
資本主義の旗の下にそれも、価値の移動ってことでビジネスになるわけね。

昔は、創って奏でる人が居る足元でしか鑑賞の愉しみは供せなかったが、
版画の時代から印刷技術の発明に至ると、創ったものの広まりは急激に大きくなるわけね。
それも商材となるわけ。
刷る人、運ぶ人は消費者からお金を受け取り、刷る人と創る人との契約に基づき創る人も分け前をもらう。

それが著作権やら、著作権財産権の譲渡やらって考え方の始まりなんでしょうね。
その関係は今でも続いてます。

レコード、ラジオ放送の発明によって、鑑賞を愉しむ層への拡がりは爆発しました。
アメリカの商人はそこに目をつけたわけね。
 ・商品という形にする人
 ・小売店に運ぶ人
 ・あるいは放送にのせる人

…に如何にお金を集め、それを
 ・如何に創る人に分配するか
 ・その仲介をしてどれだけ手数料をもらうか。

そこに至って、著作権法と分配の仕組みが現代的に整備されたわけね。

昔も今も変わらない価値

ちなみに、教える・教わるっていう巷の営みは続いてるわけで。
教材コンテンツは、先ずは教える人の頭の中にあるものだけど、教材っていう便利な道具も創られ続けるわけ。
昔は印刷物だけだったその姿が現在は多様です。
とはいえ、
 ・教材を創る人
 ・商品の形にする人
 ・運ぶ人
 ・消費者=教える人&教わる人
…が居るって姿に変わりはありません。

もう一つ、昔も今も変わらないのは、
 ・演奏された音楽作品を聴覚で鑑賞する
 ・楽譜などに固定された作品を自分で演奏再現し聴覚で鑑賞する
  あるいは、脳内イメージに再現する
…といった愉しみ、

 ・よりよい再現の愉しみに向けて師匠に教えを乞う
 ・その結果、よりよき達成を重ねる
…といった愉しみ、
と は別次元の価値だってこと。
価値とは、サービスの提供と対価の支払の際に考慮される評価、と言えば解りやすいかな?

で、後者の価値のより潤滑な提供、をサポートできるようなコンテンツを知的財産として有償提供する、というビジネスは昔も今も変わらず存在するわけです。で、
そのコンテンツを成す素材として音楽作品があるならば、それはそれで著作物=知財として扱われてよいはずです。

教則本は買うもの

だからコピーもされるもの、ですね(^_^;

古来のエチュード集も、現在の新刊でも、教則本類は楽器屋さんやアマゾン等で売ってます。
けっこう高いものですよね。

なぜかと言えば(繰り返しになってすみません)
 ・商品の形にする人
 ・運ぶ人
 ・ゼロからコンテンツを創った人
…が、将来に亘って、よりよい作品を創り続けたり、運び続けたりを可能にするためです。
つまり、それを生業として生きていけるようにです。

それを支えるに足る&市場全体とのバランス
で価格は決まります。
もし、無償提供されるなら、創り運び続けられなくなります。

ただし、対価を払っていただけるよう、
創り運ぶ人も、発明と品質向上に日々腐心を続けるわけです。
それが資本主義社会のもとで働くってことですから。

だから、創作者と消費者が直接つながる機会を作れる現在では、
一部のライブハウスで見られるように「投げ銭制」でもいいと思ってます。
お代は観てから式。
とはいえ、
昭和の時代から続くいわゆるメイジャー流通では、そうも行かないのは仕方ないでしょう。
だからこそ未だにメイジャー流通の価値はあるかと。
それを支える企業(永続的経営組織)があるからこそ、商品が世に出る前から宣伝などに先行投資できるわけで。
その意味では、昭和時代のようなメイジャー流通は崩壊しつつあるとも言えますが(^_^;

ともあれ、
 ・教則楽曲は、鑑賞対象楽曲とは別の流通だ
 ・だが、教則楽曲は音楽著作物であり、著作者は著作権法で保護されるべきだ
 ・もちろん書籍としても著作物であるのに間違いはなかろうよ
…と筆者は思ってるってことです。

音楽教室が扱う商材

生徒として来ていただく消費者がナニに対価を払うか。
大きな教室組織だと、
 ・講師の、教えるという作業の工賃
 ・場所代(施設維持と関わる職員の人件費も含め)
 ・教材実費
 ・教材の開発経費
 ・講師の品質維持に係る経費
 ・教室維持の為の宣伝費など
 ・母体となる企業の利益
…などなどが思いつきやすい所でしょうか。

講師の作業工賃は、大きな教室だと時給として扱われますが、
たいてい、その数倍の時間を授業の準備のためにどの講師も割いてるでしょう。
それ以前に、そこに至るために、その数百倍の時間をかけてるわけですが、
おかげでそこに居るわけで、あまり顧慮されることではない、、が、全く言及されないのも淋しいことではあり(^_^;

で、過去の愚痴ですが、大きな教室だと生徒のモチベイション維持のために、発表会なるものが定期的「以上」に繰りかえされます。
個人経営の教室なら、その実施に係る費用を生徒さん達にもってもらう、のが通例なようですね。
でも、教室チェーンでは、何十曲譜面を作っても、何十時間マネージメントにかけても、それへの対価を考慮された経験はありません。
御褒美は生徒達の笑顔とその後しばらくの前向きな教室の雰囲気、です。

とはいえ理解はしています。
大きな教室チェーンの使命は、極力安価にある程度以上品質を保ったコンテンツを、できるだけ多くに供することで、なんとか経営維持も図るってこと。
それは確かに、文化を支えるのに大切な志ではあります。

未来に人類の文化を繋げていく。
そこに関われるビジネスなのだから、それを実現してることは大いに評価できます。

カギと思ってるポイント

大きな教室チェーンは幾つか存在するわけで、常に価格競争には直面します。
とはいえ、勇気を持って言うなら、
物価とのバランスで言えば安すぎる、のではないかな。。。

なぜ勇気が必要かと言えば、
そうした無形のサービスへの対価を安く見積もる歴史があるから、かな。
オモテナシってことで。
そのオモテナシを実現するのにどれだけの実費がかかってるか、と想像すれば、ずいぶん安いかも、とも思えます。

ですけどね、自分が消費者になる立場で考えれば、それだけの出費をするのは贅沢とも思えます。
もちろん、自分が低所得の立場だからではありますが。

とはいえ、ファミレスでの1食、トイレットペーパーの一束…とかと、憧れの大先生のレッスン1回を並べると、自分も少ない所得ながら妥当と思えるだけ差し出します。

ギリギリの収入で運営するわけで、切り詰められるところは削り、得られる所では得たいのも当然でしょう。
そこで教材などは、制作時の作業工賃のみで買取り、つまり印税契約(売却収益のうち一定の割合を作者に分配を続ける)はせず、あとは売り続けたいとも思うわけですね。
自分が経営者ならそうしたいのも解らなくはない。

けど、制作者の気持ちを察する想像力があれば、印税契約をすれば、制作者自身も教室拡大に積極的になってくれるのにな、とも思える。

でね、切り詰めちゃえって経営者なら、JASRACへの著作権使用料を払いたくないと思うのも解る。それ即ち印税ってことですから。
ですが、著作物を商用してるのは確かです。
その使用料を払わないと、創り続けられない人は出るはずです。

特に、教材として音楽作品を創る人には深刻です。

つまり、
 ・Jの使用料算出基準
 ・使用料と払うべしとする理由(公衆への演奏提供だからってことでなく)
…などが納得できるものになるなら、払って然るべきかと思います。

もちろん、納得できるものにするための議論の「場づくり」と、
払えるだけの収入バランスづくりは不可欠かと。

そういったプロセスが無いのに「とにかく払え」と「払わん(ではなく実は、払えん)」の応酬は空しく思います。

「教育の場」とは…

著作権と、その使用料に関わる法律では、
学校での音楽著作物の使用は校歌・教科書での使用など使用料徴収を免除される、
ってことになってます。

そこでの「学校」とは「学校制度」の「中の」学校を指します。
民族学校や一部の特殊な学校はどう扱うのか、悶着の対象になりがちなようで。
(その件、要取材、そのうち詳しく書けるよう勉強しときます。)

さて問題です。
例えば、ですよ、、
「進研ゼミ」って通信教育事業を行うベネッセさん。
昔は「高一時代」とか「蛍雪時代」といったお勉強系雑誌も出してたが、今はその系統は通信教育事業に纏められ、雑誌は旅行・ペット・育児。
強いていえば「たまごクラブ・ひよこクラブ」は若干、教育系の名残。
(例えばってことでベネッセさんをあげましたが、公文さんでも代ゼミさんでもトライさんでもよかったわけです)

さて、
ゼミにせよ、○○クラブにせよ、
その誌面や付随するコンテンツサービスにて楽曲が使われた場合。
その作者に無断で無償で使われたら、、どうでしょう?

あるいは、
作者に使用許諾を(J経由でも直接でも)とったとしても
「許諾は頂きました。無償で使わせていただきます」
と言えるでしょうか?

その時に「教育関連事業だから」が免罪符になるでしょうか?

学校制度の中の学校は、公立学校なら基本的に無償の教育サービスです。
ユーザにとってね。その維持経費は教師の人件費を始め殆どを税金でまかなってるわけで間接的には支払ってますけどね。
通信教育事業は営利活動です。
ん、それを言い出すと、私立学校はどうなるんだろう?、、(その点不勉強なもんで取材を深めてみます)

☆追記☆
↑の私立学校の件↓に少し言及ありますね、文末辺り、
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20170302-00068281/
☆追記おわり☆

とはいえ、私企業の営利事業ならば使用料払うのは普通に納得できそうですよね?ってこと。
だとすると、大きな教室チェーンもそれと変わらなく見えてきます。

町の小さな個人経営の教室はどうなんだろう?
教育事業ではある。
とはいえ、その主宰者の生活を支えるのに足る収支バランスなのか、、、ま、それぞれでしょうけど。
…などと考えると、、

事業体の規模や社会的性格、経営状態、、

などなどに応じた細やかな対応を議論しないことには、世の中の納得って得にくいんじゃないかな?
って考えに至ります。

つまりね改めて徴収を図るとしても、その実現にあたって、世の中の大勢が納得しやすいプラン提示が必要なんじゃないかな?
って思い至ってるわけです。

…というわけで、

結論めいたことを書かねばと思いつつ。。
急いで書き付けたので、当該裁判への雑感と、教材系著作物の取り扱いへの愚痴とがゴッチャになってしまいました(^_^;

ともあれ、表明したかったことを纏めると、

 ・JASRAC(のみならず各著作権管理団体)で管理する楽曲の中には教育現場でしか使われないような著作物もある。管理団体に管理委託をしてなくとも、作者の権利に変わりは無い。

 ・それを不特定多数の鑑賞に供するのを目指した一般的な音楽著作物と一律に扱ってほしくない。

 ・教育現場(公的であれ私的・営利的であれ)での徴収を始めるには、納得しやすいプランづくりと説明が不可欠なんじゃない?

…ってことです。

というわけで、当該裁判については、それだけきめ細かい論議が成されうるのか、、
今後の動きは見護らねばならないな、と思ってます。

とりあえず言いたいことは書いたぞ、ってなガス抜きでした~ (^_^;

*******

さてと、
この機会に目を通して見ねばかな〜、
近年どんな本が、、と眺めてみた。
この人生、過去数回、著作権は阿呆ほど勉強した
けど、取り巻く状況は本当にめまぐるしく変化するわけで…
ほほぉ、
この数年は「クリエイター」ってのがこの界隈で流行ってるのね、、
これは2015/04の本↓

2018/09 ↓

2019/05 ↓

このタイトルは上手だね〜↓ 2015/01

このタイトルも興味深いわ〜↓ 2017/03

大人の初心者向けなのかな、冷静そうね↓ 2018/08

アウトとセーフの境界線を理解しよう↓いいサブタイトル、編集者イェイ 2017/07

初出は今世紀初頭だったか、よくお世話になった本、よくわかるよ本当に↓

その続編↓

とりまく歴史と事実を冷静に学ぶのには良書でした↓ 2009/11

最近の書籍群の中には、単純に「JASRAC は悪者っ!」って、痰を吐き捨てたような、勉強も取材も浅そうな偏りの強そうな、、も多く見かけてタメイキをつけるジャンルなのね、と思いました。
面白いのは一方的ってこと。
「JASRACに対する側」を悪者扱いする書籍って見当たらないのね。
もちろん、Jを万歳礼賛するものもない (^_^;
ふ〜んっ、って程度のことなんだけどね。

トラウマと深呼吸

☆追記☆
そうそう、読者からの御指摘で気付いたんだけど、、
「踏みにじったり騙しまがいのことをしてる企業が、少し本来通りの請求をされただけで逆上してんじゃねぇよ、って文句を言いたいのですね」
(^_^;
いえいえ、そんな意図ではございません。
けど、確かにそう読めてしまうのも仕方ありませんね。
感じ方は御随意で結構です。
 
そんな風に指摘されて、ふと思い出した景色。
あの時、筆者を恫喝したヤカラはジャージ姿で、まるで竹刀もった頭の硬い体育教師みたいだった、ってか、本当に脳味噌筋肉系で呆れたな、、すぐイライラするし、言葉が出てこないからだろね、、、
そんなのが芸術振興を標榜する非営利組織(?)の真ん中に居るのを見て気絶しそうになったもんな。

それがトラウマなんだな…
現在筆者の書く教則ネタは、ほぼ全てメカニカルな技術向上ネタばかり。
「あぁ、よいメロディですね〜」
と思えるものは書かないようにしてる。
そのエナジーは曲書く方にすっかり振り分けてる。
 
あぁあ、やっぱりガス抜きのボヤキになっちゃった(^_^;
深呼吸したらまたポジティブに暮らしましょう(^^)/

 

第1審 判決、出ましたね_さらに追記っす

原告側の敗訴ですね。
仕方ない、というか、まぁ順当な結論かと。

原告の訴えね、論拠が細いというか、深慮に欠けてるというか、、でしたから。
あの気持を通すなら法律を変えるのから始めないと
明治時代に作られた法律をほぼそのままに放置してたとこから見直さねば、
 ・実情に即した納得しやすい対応
 ・様々な現場の様態へのきめ細かい対応
などなど無理なのかと。

でね、原告サイドの外野応援団には色々とキャッチフレーズあるのね、
「この国の音楽を殺す気か」
とかね。
扇情的な言葉を並べたってとこで、もう負けに見えちゃうんです。

下に貼ったヤフーニュースで弁理士さんが書いてるのと同じく、
新たな課金のパーセンテージには考える余地があると筆者も思います。
とはいえ、
ニッポンの音楽を殺した!ってほどの破壊力は無い、現状パーセンテージであっても。

J側の外野応援団って目につかない。
扇情的な言葉と大声で煽ったりしないからじゃないかな。
てか、しいて応援することでもないし。

とね、上にも書いたけど、徴収業務にまつわるブラックなイメージと本件裁判の話をゴッチャにして語っちゃう向きもあるでしょ?
それもね、論理的な話が成り立たない空気を見せちゃうのかと。

つまりね、充分に複雑な話のはずなので、
冷静に腰を据えて静かにじっくりどっかりずっぽり…
クドイって(^_^;
時間をかけて知識を積み上げて、現状の取材も重ねて、
立法の立場に踏み込む覚悟で臨まないと変わらないことかと。
感情論が先頭きった話題になってるうちは力にならないんでないかな。

著作権法と諸関連法規、読むだけで一苦労。
その上で判例とかそこそこあたるとまた大変。
この話題で盛り上がってる誰もがその努力をしてるのかと思うと頭が下がります。
せっかくなので、確からしい智恵を積み上げてから、未来の理想を語り合いたいですね。

判決速報のうち↓の解説文が情報として最有益かと
https://news.yahoo.co.jp/…/kuriharak…/20200228-00165095/

同じ弁理士からの2年前の解説文
https://news.yahoo.co.jp/…/kuriharak…/20170202-00067263/

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