雑記です。
「はい、ジャズやってます」
と応えなくなってから長い。
それが何故かを吐露したくなった。
最近妙に忙しくて当ブログの連載記事が滞ってて申し訳ない。
あと数週間もすれば閑になる、かな?
そしたら濃い音楽と楽器の話も書くつもりなんで御勘弁 m(_ _)m
サックスなんてブラ提げて歩いてると
「おっ、ってことはジャズやる人なの?」
などと訊かれがち。
「いえ、音楽やってます」
って応えることにしてるが、たぶん大抵は期待にそわぬ答にガッカリさせてるのでしょう。
なぜそう応えるか。
ジャズって言葉がナニを指すのかが判らないから。
正確に言うなら、
自分にとっての答はあるが、相手によっては、というか殆どの場合、
その相手が思い描くジャズと、自分の思うソレとは大幅に違うものだし、
受け取られようによっては悪気の無い嘘となるからだ。
その昔、新宿の某有名ライブハウスにて、
カウンターに陣取った、同伴出勤のホステスと客とおぼしき2人。
我々なりにジャズをやってたつもりだが、
「おい、こら、歌のネ〜ちゃんはいつ出てくるんだ!ここはジャズの店だろ?」
その人にとってのジャズはソレだったわけで。
つまり、相手の思うジャズがナニを指すかを判らぬうちは、
自分のやろうとしてることをジャズと呼ぶのは誤解とスレ違いの素と悟った。
例えば、
ビバップ以降のいわゆるメインストリームをジャズと呼ぶ、
といった偏狭な視点で言えば、
グレン・ミラーとかベニー・グッドマンとかいったスイング音楽はジャズとは呼びがたい。
けれど、それらをこの島国ではジャズと呼んで困ることは殆ど無い。
ばかりか昭和時代の、かなり最近に至るまで
カントリーであれハワイアンであれ、、シャンソンもカンツォーネもラテンもディスコ音楽も…
アメリカンでなくとも舶来のポピュラーミュージックならなんでもジャズと呼んでた島国でもある。
’80年代以降はジャンルの名前を割と細かく言い当てるようにはなってきた。
レコード店の棚づくりが上手になったからだろう。
音楽を創る人も売る人も、顧客層に応じてのマーケティングが明確になったってことかな。
ところが ’90年代から現在、逆に、
若い人達が「ジャズ」と呼ぶものを大人達はピンと来ないってのが増えてきた。
それはジャズに限らずあらゆる旧来ジャンルでのヤリクチが、
R&B、Hip Hop、ハウス、テクノ、、、
などなどの中で、新たなテクノロジと共にエッセンスとして活かされてるものを「○○風」でなく「○○」と呼んでしまう、ってのが増えてるわけね。
その呼び方に理解を示す大人も居れば、受け容れられない人も居るのも当然。
それは各自の勝手。
自分は子供の頃、どうやらジャズの範疇らしき音楽に夢中になって、
幸いお招きいただいてジャズ教育の総本山みたいな学校で学ばせてもらった。
現代の地球の音楽のごく一端を。
蓄音機時代の音から今に至る様々を聴いて、聴いた限りでの家系図はアタマに描いてる。
大雑把に言えば、地球上の商業的ポピュラー音楽の大部分は、新大陸でジャズが生まれなければ違った姿になった、と理解してる。
もちろん地球はまだまだ大きいし現代史も長く深く広いから、いまだに初めて聴く音ばかり。
その都度、家系図の仔細は書き換わる。
さて、
”スゥイングしなきゃ意味が無い”
って格言がある。
時間軸で、出来事のパターンが「規則正しく繰りかえされる」のに触れると、人の心にはナニカが起こるらしい。
太古のシャーマンがトランスをもよおしたのも、そうした心理作用の結果でしょう。
メトロノームの鳴らす音は、モノサシの目盛のように厳格に「等分」に時間軸に並ぶ。
それでも心理作用は起こる。
実際の音楽では「等分」には並ばないが、ある一定のパターンが精確に繰りかえされる、ものも多い。
実は等分のものよりも、人の心や身体を揺さぶる作用が強いみたい。
その現象を ’40年代にスゥイングと呼んだわけですね。
今ではグルーヴと呼ぶほうが多いでしょう。
いちおう注釈。
「人間の演奏だからおこる不規則な出来事」のことをグルーヴと呼ぶ人は居るが、、それは妙、と思ってます。
人力であろうとコンピュータであろうと、精確に繰りかえされてこそ起こる心理作用があるわけで、それをこそグルーヴと呼ぶんでないかな。
でだ、
スゥイングやグルーヴが「ジャズ」にとって不可欠な要素か?と言えばそうではない。
それ無くても「Jazzy ですね〜♪」と言われる音はあるわけで。
同じく、楽曲中での出来事として「即興演奏」を含むか否か。
それだって不可欠ではないでしょう。
、、、と言い出すと、
「○○がジャズには不可欠だよね〜」
と言われがちな諸々の多くが、意外とそうでもないのに気付く。
ではナニが不可欠なのか。。。
筆者は「ブルーズという和声現象」こそが正体と思ってます。
大雑把に言えば、ブルーズとは、
黒い人達が新大陸に連れてこられ、白い人の楽器と音楽文化に触れる、
それ無くしては人類史上に生まれなかったであろう音感の発見と、それを快く受けとめる文化の醸成。
※詳しく言うなら…↓を御参照くだされ
『明解!ツーファイブで使える音階 ~ブルーズの謎を解く~』
http://bit.ly/KT_blues_251
それこそがジャズと呼べる重大な要素なんでないかな。
そう思えるなら、若い人達が今使う「ジャズ」って呼称を大人達が理解する手立てにもなるでしょう。
なのだけど、、
そう思っちゃうと逆に、’70年代以前のあらゆる舶来ポピュラー音楽と、その影響ありきでの多くの邦楽、その殆どにもジャズと呼べる要素を感じ得るわけで、、それはそれでヤヤコシくなる(笑
はてさて、
ジャズって言葉は非常に曖昧で、人によって思い描くモノはマチマチってこと。
なので、
「ジャズやってるの?」と訊かれて単純に「はい」とは応えがたいわけです。
自分が創りたいと思ってつくってる音楽、
ジャズとは思わない人は多いし、、ん、、思う人も居るのかな、、判んないや(^_^;
自分では「ジャズです!」と言える気はしないし、言いたいとも思ってない。
「自分はジャズをやります」
と胸張って言える友人を見て、眩しく羨ましく思うこと、は、ある。
呼称に誤解は必ず起きるとしても、掴み所のある姿はビジネス商材としては有能なわけで。
そう言い切れない自分は商材として掴みにくいのは判ってます(笑
ラテンだってブラジリアンだって…(並べだすとキリがない)
好きなモノは好きだし、なにかしら創る時にはどれもが引出から飛び出す可能性あり。
なので「自分は○○やる人です」と断言しがたい。
なので、好きに創り続けるばかり。
たまたま好いてくれる人が居れば幸い。
演奏については御注文に応えられるよう精一杯を尽くすのみ。
それもたまたま好いてくれる人が居てくれるよう祈るばかり。
というわけで、
たまたま街角で「ジャズやるの?」って拙者に訊いちゃったら、
きっとガッカリするから覚悟しといてね(笑
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