スイングってなんだろ?グルーヴって?ジャズって?ブルーズって?アメリカ音楽の歴史…ところでR&Bって言葉は絶妙だな。
思い当たるフシを衝動的に書き連ねてみる。くっそ長いんでよっぽど閑な時にどうぞ(笑
スイングとは?
「日常生活とは違う時の流れを現出させる音楽的行い、その結果の推進力を快いと人が感じること。の行い自体や受け止めた心理作用」
それをスイングと呼ぶのだと筆者は理解してます。
その意味ではむしろドライブ感って言葉のほうがシックリ来るのかも。
一般的にはジャズって範疇の音楽での出来事に対する呼称。
八分音符が複数並び立つ時、いわゆるオモテは長めでウラは短めに演奏される出来事。
その結果、演奏者も聴衆も気分よくノリノリになっちゃうって現象。
なのですが、その長短の割合とか、その周辺に起こる出来事諸々は様々で、
「こぉすりゃスイングするんだよね」
って具合の明らかな答は1つでなく、時代・スタイル・個々の演奏者…によって様々。
おまけに、リズム隊の人達と旋律奏者達とではその受け止め方や、実際の作業が違ってきたりもします。
そこにナニが起こってるのかを探るのは面白い研究なのでしょう。
取りあえず、巧くスイングするに足る「たった1つの答」なんて「無い」って思っておくのが賢明なのかと。
初心者向け楽典的説明だと
『八分音符が並んだ時、1拍を三連符にわけて最初の2つをくっつけて「2:1」の長さに演奏すること』
みたくなりがちだけど、
それが適切な説明と言えるのは 1930~40年代のスイングジャズ時代、特に白人バンドの演奏に限られるんじゃないかしら?
ジャズってジャンルについて述べる限り、それ以降の演奏では「そうとは限らない」ほうが多いかと。
「ハネたリズム」と呼ばれることが多い。
ただしその「跳ねる」って日本語の与える印象には色々と要注意。
ハネるって日本語ゆえ起きやすい誤解は先に排除しておきましょう。
「跳ねる」で想起されやすい状態は、長めの拍頭(4分音符の拍のアタマ)八分はスタッカートで拍尾(という言葉は聞いたことないが、拍のウラね)の八分との間にスキマができるものです。タッカタッカタッカ♪
それは特にモダンジャズ以降ではスイングとは呼ばれにくい状態です。
もちろんそうすることがスタイルの要件である音楽はあります。
1920年代のブギウギとか40年代のジャンプブルーズとかだと、拍頭スタカートで「跳ねる」感じが肝心な場面も多い。
のちにその形はシャッフルってリズムにも現れます。
戦後のニッポンではモダンジャズなつもりでも、なんだか「跳ね」ちゃってる演奏は「音頭調」など揶揄されたもの。
いわゆるジャズの演奏ではスイングジャズ時代であれ、八分音符が連続するシーンでは拍頭はテヌートで拍尾との間にスキマは作られない、のが一般的です。
さてスイングとはどんな心持ちなのでしょうか?
ブランコの動きを思い起こせば解りやすいかも。
地面に近いとこでの移動速度は速い、折り返し点あたりでは
「減速~より遅い~一瞬のゼロ~より遅い~加速」
ってことになる。
その時、身体に感じる「重力感」ってのも大事かも、なんというか「時間の密度」みたいなのに通じる感じ。
つまり自然界にある出来事がヒトの表現に反映した例なのかも。
ブランコでなく、腕で空間に円を描く動きをしたとして、引力の影響を受けて、降りるときは加速・昇るときは減速、その景色をスイング感と結びつけるような説明もよく見かけますね。
その粗密の行き来が時間を進める力になってるってことなのでしょう。
で、
大切なのは、それらの動きが楽譜の見た目で言えばドコにあたるのかを理解すること。
「拍頭が長めで、拍尾が短め」
それで言えば、
加速の頂点あるいはその直前に拍尾の発音点、
減速~加速の間が拍頭と思えばいいんじゃないかな?
つまり、拍頭のほうが経過時間は長くなる。
拍尾に居る時間は短くなるが、スピード感とか高密度ってものをそこに感じ得るのでしょう。
先人達はそこにミラクルを作ってきたのも確かです。
経過時間のウラオモテ割合差だけではない方法でスピード感・高密度感を表現したって演奏家達が居たのは歴史上の記録から明らかです。
つまり、拍頭と拍尾がほぼ同じ長さでもスイング感は表現できるってこと。
なので、単純に拍頭と拍尾の不等分な経過時間だけでスイングは説明できるもんでない、て思ってます。
アタマとウラの八分音符がほぼ等しい長さもスイングを感じさせられる。それは、音圧・音色の変化、発音の形などで起こせるもの、かな?…、フレージング(後述する「喋り始めの位置」に関わる)にもよる、のかな?
観察結果としてよく語られるのは、
「ウラの八分音符の位置が、等分目盛より少し後ろに居る、その位置こそが所謂スイング的。で、アタマの八分は更にレイドバック=等分の目盛より更にもう少し後ろ。結果として演奏される八分連続の旋律はウラオモテほぼ等分となる」
です。
筆者はむしろ
「アタマの発音位置はさほど問題にしてない。喋り始めのウラの位置こそ規則正しくスイングに相応しい位置に居ることが大切」
なんだと思ってます。
で、
奏者やスタイルやバンドごとに「相応しい」の位置は変化します。
とはいえ、
リズム隊員は拍頭も発音するわけ(いわゆるジャズの演奏では)で、すぐ上の話は主に旋律担当の話となります。
しかも、
ソロ(テーマでもアドリブでも)なら好きにレイドバックできるが、何人かの旋律楽器がリズムの上でアンサンブルするなら、アタマもリズム隊に一致しないと巧く合奏にならない。
なわけで、場面や立場によっても扱われ方が変化するわけね。
テンポによってスイングの形が変わるのは簡単に観察できますね。
おおかたの傾向で言えば、テンポが遅くなるほど拍頭は割合的により長くなる、、、というか、
「ある人にとって適切なスイング感があるとして、テンポがどうであれ拍尾の長さは大して変わらない、結果としてテンポが遅くなるほど拍頭の割合が大きくなる」
って確率が高いみたいですね。
ドラマーのシンバルレガートを聴けば判りやすいでしょう。
とはいえ、
それについても旋律楽器だとまた違った傾向が現象するのでヤヤコシイ話となりますね。
で、
テンポが遅くなると、1拍を4分割以上した目盛りを意識した演奏もしやすくなるわけで、出来事はより複雑になります💦
ダンスのステップとスイング
フォックストロット(Foxtrot)ってダンスのステップがある。
北部の黒人の発想からピアノ音楽ラグタイムが流行って、そのシンコペイション感にフィットさせるべくフォックスさんが作った、スロースローファストファストってステップ。それ以前の「ワンステップ」に取って代わり、前世紀初頭にイギリスで火が付いて欧米で大流行したそうで。
ラグタイムの殆どは even 8th(跳ねない8分音符)で演奏されます。
ですが、後にこのステップはスイングジャズに乗せても踊り続けられました。
そこに、スイング感ってなに?の答の1つがあるかもしれません。
8分音符がスイングであろうがイーヴンであろうが、ウキウキ気分のスイッチは入れられる。
スイングとイーヴンは白黒どちらかってことでなくシームレスに行き来できる出来事で、その数理的状態のみで気分の喚起、その程度を測れるものではない。
それ以上に大切なスイッチはあるのでしょうな。
喋り始めの位置とアンティシペイション
大切なこと。ジャズ的に言うなら、
「喋り始め」と「喋り終わり」のアタリマエなポイントは拍尾にあるってこと。
しかも、それは「オモテありきで、そのウラ」ではなくて、
オモテより前にあるウラこそが喋り始めになる、それがアメリカ音楽のアタリマエです。
八分音符の目盛を主な拍節とするなら、奇数番目の拍頭(オモテ)でなく「その前の」偶数番目の拍尾(ウラ)が喋り始めってこと。
4拍子で四分音符が主な拍節なら1or2拍目よりも4or2拍目こそ喋り始めになります。
拍節を小節単位と捉える場合、
2小節単位で進むと捉えられる場合、1小節目よりも2小節目こそ喋り始めと言えます。
4小節単位で進む曲なら、4あるいは3小節目こそ喋り始めと言え、
コード進行などもその気持で組まれる確立が高い。
その様子をハーモニックリズムなんて言葉で説明したりもします。
ザックリ言えば、偶数のとこに不協和、奇数のとこに協和って感じに。
いわゆる「バックビート」と呼ばれる「4&2拍目にスネアドラム」ってのも「偶数位置での不協和 ≅ 喋り始めポイント」と同じ意味なのでしょう。
※その点少し詳しく書いたのが↓
例外も多いわけですが、ジャズに代表されるアメリカ音楽の観察結果によれば、おおかたそういうことみたいです。
もちろん意図的にそれをハズした作品もあるわけです。
ちなみに、
シンコペイションって言葉は「当然そこがアクセントだろうってとこと別箇所にアクセントを置く」ってこと。
その一種で「当然ソコってとこのちょっと前にアクセントを置く」のを特にアンティシペイションと呼びます。
クラシック音楽に代表される西欧音楽をザックリ見れば、アメリカ音楽と比べれば「喋り始めはオモテだよね」が多く見受けられます。が、詳細を観察すれば実は「ウラから喋り始めてる」のが「潜在してる」のこそ多い。
言語のツクリからしてアウフタクトがアタリマエな人達の「欧米音楽」に共通ってことなのでしょう。
言葉だけでなく舞踊のステップとの関わりもまた重要なのでしょう。が、ここでは深追いしません。
なのですが!
なんというか、素朴というか・西欧古典的というか…、な「オモテの引力」ってのも厳然と有り続けてるわけで。
アタマから喋り始めたり喋り終えたりするのも全く不自然ではない。
そのどっちもにも行き来できる自由がそこには在るって感じですね。
2つの価値観が併走し得て、その狭間を我々は行き来できる、のでしょう。
グルーヴとは?
似た言葉、グルーヴ。
「時系列上の複数事象の組合せが、寸分違わず繰り返され続けた結果、人の心に高揚とか沈静といった心理作用を及ぼす。その繰り返し作業と、結果の心理作用のこと」
と筆者は捉えてます。
古代からの宗教的行事で打楽器が重用されるのはその現れなのでしょう。
グルーヴがトリップ状態とかトランス状態とかハイになる、とかを生むってことで。
シャーマンには欠かせない現象なのでしょう。
__少し寄り道__。
ヒットラーが「勝ち負けに一喜一憂してる大衆こそ御しやすい」って言ってました。
大きなスポーツイベントの裏側で法律の改変がヒソヤカに行われるって現代にも応用されてますね。
ちょっと似てるかも、って思えます。
シャーマンだった卑弥呼が大衆心理を牛耳るのにグルーヴを使ったであろうことも想像しやすいってことで。
__閑話休題__
大切なこと。グルーヴを形成する「出来事」は、より素朴な概念「テンポとかリズムとか」ってことの説明に必ず登場するような、キッチリと2等分とか3等分といったモノサシの目盛り、それと一致する必要はない。ただ精確に繰り返されることこそ肝要。
間違われやすいこと。人間の行いだからこそ起こる不精確によるユラギ。それをグルーヴと称してしまうこともあるみたい。それは単にユラギであってグルーヴではないんでないかな?
上記の「モノサシの目盛に合わない出来事」それは確かに「人間だから起こる出来事」とは言えます。
勿論、ヒトが意図的にそれを起こす場合もあります。
ともかくそれを「精確に繰りかえ」した結果、グルーヴは起こるのだと思ってます。
例えば、いったんグルーヴが成立したあと、8小節目にユラいだとする。ところが、そのユラギを8小節ごと、精確に繰り返したなら、それは最初のグルーヴとは別の「尺の大きな」グルーヴと呼べます。
「そのポイントはピッチリと!」の多様性
アンサンブルでの話。
グルーヴの形が確定したとして、そのアクセント全てに全メンバーが一致することもあれば、そうでないこともある。
が「ソコだけは合いたいよね」はあるものです。
例えばラテンで言えば 2/3 の、2の小節の2拍目とか、3の小節の2ウラと4(トゥンバオ)には共にありたい、とか。
逆に、
そこは全員一致じゃなくてもリズム隊だけでもあってれば…ってポイントもあったりする。
グルーヴとアーティキュレイション記号
雑な譜面だと同じメロディや、和音楽器のパターンとかでもね、、、
そのグルーヴやジャンルやスタイルをよく知ってる人が演れば、
「ココはスタッカートで、ソコはテヌートになるし、アソコは音圧高く、とか自動的にするよね」
ってことがある。
つまり、そのジャンルをよく解ってない人がやれば、、、ね?
なので
「よく知らないであろう人達」向けに譜面を作る作編曲家は、アーティキュレイションを丁寧に書くのがよいわけ。
書かなかった場合、思った通りに演ってくれなくても文句を言ってはならぬ。
逆に
「アーティキュレイションを細々と書かれなくても解ってるからさ、見た目うるさいから書かないでよ」
って演奏家も多い。
が、
地球の広さを知らなかった、といつか気付く時が来るかもしれない。
いつまでも井戸の中に居るなら誰も困らないんで構いません。
けど、誰かが書いたアーティキュレイションに言った文句は演奏結果に反映しますからね~♪
… ってか、書く立場としては、、溜め息をつくしかない、情けない無力感です💦
なので、とにかく「書く」で解決を目指すばかりです。
ジャズって?
とても広い意味の言葉ですね。
戦後この島国では、ハワイアンであれマンボであれソウル音楽であれロックであれ、軽音楽(西欧クラシック=階級的音楽以外の音楽)一般を聴ける喫茶店は皆ジャズ喫茶と呼ばれた時代がありました。
アメリカ黒人音楽の中でもメインストリーム(主流派)のジャズと目されるようなものだけをジャズと呼びたい人も居ます。
その昔には、白人デキシーランド~白人スイングジャズこそがジャズだって評論家も居ました。
フュージョンジャズとかクロスオーヴァーはジャズと呼びたくないって向きもありました。
でも、マイルスさんがやれば「う~む、ジャズだね~」って言ったり(笑
90年代になると、ブリティッシュソウル系と呼ぶのかしら、随分とジャジーな和声を多用したソウル系ポップ音楽が沢山出てきました。
80年代末ロンドンのクラブ界隈に端を発するアシッドジャズムーヴメント、最初はアメリカの古いソウルフルなジャズで踊るとこから始まり、やがてスタイルカウンシルとか出てきて、、から始まる流れ。
そこら辺の雰囲気がテクノとくっついてクラブジャズなんて言葉も生まれたり。
そこら辺全般をジャズと呼ぶ世代も居ます。
筆者はもうナンデモイイヤって思ってます。
なにをやっても「ジャズっすね~」って人も居ればそうじゃない人も居る。
なので「ジャズやってます」なんて言ったところで、音自体を聴いてくれないことにはナニも伝わらない。
なので「自分は自分の音楽をやります。とにかく聴いてください」って言うことにしてます。
だってさ、新宿のピットインって店に出たとき、好きにやりたいことしてたら「おいこら綺麗な歌のお姉さんは出てこんのかい?ジャズなんだろ、え?」って客が居ましたし。
昼の部なのに如何にも同伴出勤のお嬢さんと客な風情でした。
ま、いいです、なんでも(笑
とはいえ、リズム・ブルーズ・自由・許容性・新鮮さ・パーソナリティ、そこら辺を大切に思うグルーヴィーな音楽こそジャズって呼びたいなって思ってます。
歴史は解っておくといいよね、中南米もね。
細かい前後関係には目をつぶってザックリ書きますよ。
合衆国音楽の歴史ってだいたいこんなよねって。
アメリカでの南北戦争の終結は在アメリカ黒人達の音楽文化に色々と新発明をもたらしたようです。
南部と北部とで奴隷管理の様子の違いから発生機序は様々。
南部の黒人達はタコ部屋的集団生活だったからアフリカから持ってきた打楽器文化は保たれやすかった、それがブードゥー。それは南北戦争前からの出来事だが、その後の諸々の源ではあろう。
中米でのスペイン系植民者の奴隷だった黒人達も同様で、今の中米音楽の根底要素となってる。
やがてギターに触れてブルーズ、キリスト教会に触れて二グロスピリチュアル(黒人聖歌)、
南部で北軍が捨て置いた管楽器を拾って始まった管楽アンサンブル付き葬列から始まったニューオーリンズを代表するディキシーランド音楽、その後ピアノに触れて北部ではラグタイム、南部ではブギウギ、、。
北部の奴隷は南部と違って、集落毎でなくお屋敷ごと戸別に雇われ、なかには家族同然の付き合いも有り、高度な西洋式教育に触れた者も少なくなかった。
そんな中からスコット・ジョプリンやらデューク・エリントンやら出てきたわけですね。
で、
西欧宮廷舞踏会スタイルに端を発するボールルーム音楽が黒人音楽のエッセンスを取り込んだのがビッグバンドジャズの始まりなのでしょう。
蓄音機盤時代のヒット曲を見るかぎり、ニューオーリンズでディキシー音楽の録音が始まるのと同時期に、北部ではワンステップに変わってフォックストロットなどシンコペイションにフィットした西欧ダンスのステップ向けの録音物が増え始める。
ダンス側からの需要(ボールルーム=ダンスホールだけでなく酒場での踊りまで含め)は高かったってことで、そこに居た白人音楽家が黒人音楽を面白がって取り入れるのにそう時間はかからなかったのでしょう。やがて黒人演奏家がそこで使われたりもした。
生演奏エンタテインメント現場は白人客向けと黒人客向けがクッキリ分かれてた。
が、演奏家個々レベルで言えば交流はあったようだし、白黒混成バンドもあったし、それが悶着の素にもなったりもした。
黒人のみのビッグバンドも勿論組まれたわけで、NYのエリントン楽団、カンザスのカウントベイシー楽団などなど。
白人系スイングバンドといえば、グレンミラー楽団、トミードーシー楽団、ベニーグッドマン楽団、クロードソーンヒル楽団、ガイ・ロンバート楽団とかとか、、。
それが、大恐慌から第二次大戦に至って、大編成バンドが活動できなくなると小編成での演奏となり、それがザックリ言えばビバップの始まりに繋がり、いわゆるメインストリーム(主流派)ジャズの系譜に至る。
ビバップ前夜あたりからにブルーズな旋法的作曲に西欧の機能和声的を織り交ぜる工夫が深まりジャズに於ける和声表現の自由は爆発的に広がりました。
そのちょっと後からスタンケントン楽団みたいなモダンなビッグバンドが湧いたり、ギル・エヴァンスさんがマイルスに捕まってモーダルなアレンジを提供したり。
先述のジャズっぽい現場ではむしろ西欧的音楽との融合が進んだようです。
特異なのは、エリントン楽団は白人向けの店で演奏する黒人バンドとして結成されたってことかも。その時点でデュークは白人からも作曲家として受け容れられてたようです。
アカデミックに西欧音楽を学んだ黒い人の作るものだったわけね。そんなこともビバップにとって発想の源泉の1つとなったことでしょう。
いかにもジャズな歴史の傍らで、ブルーズ~R&Bに至る界隈も続いてはいたわけで。
黒人オーディエンスが集まる所では、強く明瞭なリズムの演奏と歌唱が好まれたようです。
「ブルーズ」つまり「西欧クラシック音楽の楽典では説明できない、新大陸だからこそ生まれ得た和声&旋律システム」での音楽が独自に色濃く発展したのはそういう場所こそでしょう。
やがてハイハットシンバルや電気ギターが発明され、より明瞭にリズムを表出できるようになった果てに、ファッツ・ドミノのもとでバックビートが発明され、その段階でリズム&ブルーズと主流派ジャズの系譜がクッキリと分かれたわけね。
R&B はやがてロックンロールってスタイルを生んだ。
シャウトを発明したリトル・リチャードやら、四角いギターのボー・ディドリーやら、片足ぴょんぴょんなチャック・ベリーやら。
それはそれで新たな太い枝となり得るものだったが、当初は黒人による黒人のための音楽なので、その時爆発的に太い幹が枝分かれしたとは言いがたい。
そこに白人の若者も忍び込むようになってアングラな流行りではあったが、白人の親達は眉をひそめたわけね。
で、
黒人ロックを真似しつつ白人貴族的テイストを盛り込んだポップスなぞ作られたわけだな。
そこに登場したのが大発明家エルヴィス・プレスリー。
黒人ロックンロールが大好きだが親不孝したくない彼は発明したわけね。
中東部山岳地帯、つまりアパラチアン山脈南端の貧しいイギリス系移民達の音楽、ヒルビリー音楽(つまり真っ白)をしてた白人を山から降ろして、黒人の音楽を真似させ、自分はセクシー腰フリフリでリトル・リチャードみたくシャウトした。
白人の親達にもなんとなく受け容れる層が生まれたし、白人の若者達は以前ほど親達に文句言われず熱狂した。
そりゃ大ヒットしますわな。
それがロカビリーの始まり。つまり、それこそが後に大西洋と太平洋も越えて多用に発展するロックの系譜の端緒と言えるでしょう。
そこからロカビリーのスターが沢山生まれつつ、貴族的趣味の白人の大人達も安心な白人商業主義的ロック調ポップスも沢山作られたのね。
エルヴィスが生み出した経緯とか、大人世代に対峙する若者に支持されたとか、どちらかと言えば貧困層から受け容れられたとか、から始まって、人種差別との闘いの時代、ベトナム戦争など経てロックは権威や権力への反逆の旗印の1つとなったわけね。
それ以降をロックンロールと区別してロックって言い分けるのが一般的ですね。
ハードロックってのが始まった頃のギターソロは面白い。
黒い人なら m7 って響きの上でドリアン(ブルーズな音階)って音階を使うとこで、ヨーロッパの白い人はエオリアン(西欧楽典でのマイナーを代表する音階)を使っちゃってる。
アメリカ音楽に馴染んだ耳には奇妙に聞こえるが、それで押し通してる。
押し通しちゃうと新たな真実となるのも音楽なわけで。
それがヨーロッパ中にハードロックの火が広がる一因にもなった、挙げ句の果てにクイーンみたくクラシカルな遣り口との融合も起きやすくなった、と筆者は理解してます。
そっから先は辿りやすそうで辿りきれない、膨大なるクッツイタリハナレタリの歴史が広がる。
もちろん主流派ジャズ側の人達も、黒人から始まったロック文化に興味を持ち、やがてインストロックみたいなとこから後に中南米音楽の影響もありきでフュージョンってのになってく。
黒人コミュニティの R&B 連中も主流派ジャズに影響を受けるわけで、そこら辺からソウル音楽って芽吹きになってくわけね。
ザックリ言うとこんな感じなのでしょう。
で、
ロックンロール創世記と同時期に流行りまくってたキューバ発のマンボ音楽、それ以降の或いはそれ以前の中南米音楽も合衆国音楽と影響の相互関係にあり続けてます。
ロックンロールには大流行してたマンボのリズムを取り入れた「チャチャ」ってリズムとダンスがあります。
日本語でいわゆる「ロックのエイトビート」なんてのもチャチャありきの形なわけで。
ディズィー・ガレスピーにはキューバ系の演奏家とリズムを取り入れたヒット曲が幾つもあります。
ブラジルのボサノヴァがなければスタン・ゲッツはお茶の間の大スターにはなってない。
キューバ系移民のブーガルーが無ければカルロス・サンタナのヒット曲も無い。
トリニダード・トバコのカリプソがなければソニー・ロリンズもまたしかり。
なわけで中南米音楽も理解しておくと面白さが無茶苦茶広がります。
色んなスタイルの音楽が相互に影響しあってきたわけですが、特にいわゆるジャズの世界ってのは、受け容れて昇華する許容度が特に広いのでしょうね。
なにかしら新たな景色を見つける挑戦、新たな素材を見つけて使ってみること、なにをしても結果が Yeah!! ならOKって自由はデカい。
そこは佳き哉 (^_^) って思います。
ジャズって言葉のもとに集った人達が、なんとなく共通に抱き合ってる自由の精神。
ま、ね、合衆国以外のエスニック要素を取り込んだスタイルを演奏するなら、そのルーツもちょっとは学んでおこうぜ、とか思うことも多いですけどね💦
つまるとこ、アフリカからやってきたリズムそして西洋楽器とのブツカリから発見されたブルーズ、それら有りきでアメリカ音楽は生まれ育ったわけね_多分に筆者の想像も含みますが。
そこら辺を解ってくると、なんかさ、これこそジャズだぜ、みたいに言うのって妙な気分になるのですわ。
ま、世の中おおかたのコンナトコダヨネってボンヤリした共通認識は解ってるつもりでいれば困らないのでしょけどね。
ブルーズが革命的発明だったわけ
多分に筆者の想像を含みますが、ま、こんなことなんだろなってな。
アメリカ音楽には、西欧の古典的楽典では説明できないことが沢山起きます。
その多くはブルーズ(現象としての)に由来してます。
西欧クラシック音楽の和声&音階は、
ドレミファソラシド=メロディックメイジャースケールすなわち長調
をゼロ点というか基準的モノサシとして整理されてます。機能和声法を成立させるのに非常に都合のよい基点とも言えますので。
機能和声法すなわち、不協和が協和への解決を人に求めさせ、その繰り返しが「時」を進めるチカラとなる、それを使った音楽ってこと。
対してアメリカ音楽は、
ドレミファソラ シ♭ ド=ミクソリディアン
が基点と言え、和声機能による進行性ではなく、音階の色彩の移ろいが時を進めるような、つまり旋法的(モーダル)な音楽と言えます。
もちろんジャズは、西欧式機能和声の要素も合体させて、両方の音世界を行き来するような発展を遂げ、結果的にミクソリディアンばかりが世界の中心ではありませんが。
新大陸に連れて来られたアフリカの人達の和声&音階のセンスが、西欧の楽器と音楽文化と出会い、共存しやすいというかツジツマを合わせた結果がミクソリディアン中心ってことなのかと。
辻褄合わせの過程でブルーズ現象は見いだされ、それ有りきで育った和声&音階の様子は、西欧クラシックの理論では説明しきれないのも当然、ってことなのかと。
ブルーズとはどういう出来事なのかっていうと…、
メイジャーだね~って和声環境にマイナーじゃんって旋律を乗せると、おおYeah!! って気持になります。それがブルーズって現象。
それが最も古典的なブルーズ現象ですが、その響きに慣れてから如何にもメイジャーな旋律に戻すと、その瞬間にも Yeah!! は起きます。
つまり、古典的、で示した方向と逆向きにもブルーズは起こるってこと。
仔細に観察すると、和声と音階の様々な場所で、半音のせめぎ合いが「行き来する瞬間」に起こるようです。
如何にもマイナーな和声環境でメイジャーな旋律をブっ込んでもブルーズは起こります。
古典的に「ソコだよね」って音程箇所じゃないとこ色々にもブルーズを起こせるポイントはあります。
それが現象観察の説明です。
由来は大きく分けて2つかと。
1)
西欧の音階組織は、第3次倍音あるいは第5次倍音までに聴き取れる「音程(2音間の距離)」を組み合わせて作られました。ピタゴラスさん式ってことね。
対して、
アメリカ音楽の根幹たるブルーズを生んだ音階感、つまりアフリカ的センスは、少なくとも第16次まで聴き取った倍音を材料に音階を組み上げたんだろうな、と筆者は想像してます。
アフリカの人達のコーラス、その美しさたるや!
平均律でイイんじゃんってセンスとは無縁な協和音程の作り出すハーモニー現象の嵐。
高次まで聴き分けられた倍音群がその源泉とするなら、そこで基点となりそうな音階の代表は、
ドレミ ファ♯ ソラ シ♭ ド=リディアン♭7
が最も近似でしょう(平均律では表しにくい音程だらけなので近似)。
とはいえ、新大陸では西欧の楽器で鳴らさねばならず、西欧の音楽文化と共存の折り合いを付けねばならぬ。
ってな辻褄合わせの結果が、先述のミクソリディアンなんだと筆者は想像してます。
アフリカの和声&音階のセンスが平均律で調律された西洋楽器と出会った時「いやいや、そういう音程じゃないんだよね」ってことで、隣り合った鍵盤(半音関係にある2音)を同時に鳴らすって行いになった、ってのはよく耳にしますね。それって本当なんだろねって思います。
そんなことからやがて、西洋楽器でもミクソリディアンを中心にブルーズ的音遣いをする限り「まぁこれならイイんじゃん、いやむしろ Hipだぜ Yeah!!」ってことになってった、んではないかしら?
ドレミ ファ ソラ シ♭ ド
で、ブルーズの種として発見されたトニックの短3度上の音、それを音階の音、として扱うとドリアン、
ドレミ♭ ファ ソラ シ♭ ド
そこに至って、メイジャ優勢なハーモニーの上にマイナな旋律が乗ったり4度が伸ばせちゃったりするわけね。
その延長線上に、短5度や短2度も旋律に使うと…ってなってくわけね。
2)
黒人の太い指がギターを握って、適当にバラバラしつつジャカジャカすると、まぁ見事にペンタトニックになって、、、みたいなこともあるんじゃないかしら?
沖縄で三線の演奏を初めて観た時、まぁなんて簡単な運指なんでしょ!って思った。その時に、ブルーズもそんな生まれかもよ、って直感したわけです。
、、、そんなわけで、西欧とは違う響きが根源にあり、それが平均律西洋楽器と出会ったから、ブルーズならではの和声と旋律の概念が生まれ育ったんだろうなって思ってます。
ミクソリディアン中心にブルーズ的旋律、もうそれだけで西欧の楽典では説明できないことだらけになります。
なんたって、トニックメイジャー和声の上で堂々と4度の音(ドミソって和音にファの音)を伸ばせるのがブルーズですから。
で、ジャズに限らず、アメリカ音楽ありきで存在するポピュラー音楽は皆ブルーズと親和性が高く、西欧楽典では説明できないブルーズ的出来事も許容できるようです。
で勿論、ブルーズ的楽典ってのもちゃんと作れると思ってます。
…それは機会を改めます💦
○7_ドミナントセブンスコードは絶対協和って景色
…と言いつつ、これだけは書き留めておく。
例えば G7 ってコードがここにあるとする。
西欧楽典でそれは不協和であることを旨とし、協和への解決を期待するのが使命。
主和音への解決を求める性質、つまり「トニックよ、オマエこそがトニックなのだ」
と特定し近づいてゆく進行性を持つ。換言すれば、トニックがトニックであることを支配してる、従属させてる、のでドミナント(英語なら dominate)邦訳は属和音って名前なのでしょう。
アメリカ音楽でポロンと鳴らされた G7 は、
落ち着いてそこに居るのが、仕事でも機能でもなんでもなくアタリマエな奴。
自然倍音列どおりの純正音程でハモった場合、そのコードはまるで1つの音として聞こえるほどに協和度が高い。
アフリカ的センスで言えば、そのコードは本来そいういうものなのでしょう。
ですが、それを平均律で調律された西洋楽器で鳴らすと、本来の絶対協和な響きにはなりません。
必ず濁るし、ドミナントの性質を帯びます。
ですが人間の耳は丁度良く都合良くできてます。
ちょっとやそっとのズレは、自分が「よかれ」と思うように自動的に「聴きズラす」って性能があるようです。
平均律と自然物理とのズレはそれで吸収できるくらいの範囲なので大抵はなんとか平和を保ってるわけですね。
でも、絶対協和ってポイントはとても狭い領域で、少しでもズレたら別物、と言えるのも確かです。
適当に許してあげりゃいいものを、許せん!って言って隣り合った2つの鍵盤を同時に叩く者が居るのも仕方無い。
そこら辺からブルーズって現象は人類史に湧いたんでしょうけどね。
なんて平均律との闘いの話は、一般的な楽器で言えばピアノなど鍵盤楽器など「調律楽器」だけの話。
調律楽器ってのは、演奏中即時的にピッチ調整のできない楽器群のこと。
管楽器、擦弦楽器、ヴォーカル、は「演奏中に即時的自由に」ピッチ調整できる「調音楽器」。
調律楽器のような不自由はないので、ハモりたい(自然倍音列どおりの音程を使いたい)時にはハモるし、鍵盤に合わせたい時には合わせてきたことでしょう。
半端な立場で気の毒なのはギターなどフレット弦楽器。
演奏中にピッチ調整、できなくはない、けど、まぁ不自由。
単音演奏の際には割と自由に動かせる。
なわけで「ベンドとかチョーキング」って奏法が「ブルーズ衝動をなんとかする_平均律じゃない音程を作る」ために生まれたんでしょな。
あらためて、ジャズってなんだろね?
なんでもイイじゃんって上に書いたけど、主流派ジャズってのには、なんとなく世の中の共通認識ってありますよね。
それってどういうことなんでしょね?
クラシック音楽と比べると「その人だからこの音がある」ってのを喜ばしく思うのがジャズ的なオーディエンスかと。
作ったり演奏したりする人もおおかたそうなのでしょう。
じゃぁ、なにも統一感の無い世界かというとそんなことは無い。
なんとなく誰もが「あぁ、これはジャズだね~」って思える共通感はある。
「私はジャズをやります」って言ってやってる人達がおおかた共通に抱いてるであろう先人達へのリスペクトと、共通しがちなフェイバリット傾向、それらが作る共通感なのでしょうね。
凡庸への抗いはその世界の誰が持ってるでしょう。
でも、偉大な先人への憧れも捨てがたい。
「こういうの好きなんだよね~」ってのを真似したくなる気持もある。
それらのせめぎ合いが、なんとなく「うん、これはジャズだよね~」って結果になってるんでしょうな。
あぁ、それはロックでもソウルでも同じことですね。
あ、当たり前なことですが、インプロヴィゼイションこそ大切な要素。うん、あたりまえ(笑
とはいえバッハ風インプロだってブラームス風だってピアソラ風だって古賀政男風だって有り得るわけですよ。
でも大抵皆さん、ジャズ風って範疇に居るわけね。
だから余計にスタイルオリジネイタと称される先人達は偉大なわけね。サッチモ、バード、マイルス、コルトレーン、、のちにはサンボーン、ブレッカー弟、、。
そうそうリズム隊の人こそ、ジャズですよね~って範疇に居なきゃいけない感は強いかも。そんな中でもベースラインを音階的(モーダル)に歩き始めた人とか、シンバルレガートを思いついた人とかってエライんでしょな。ジャコパスなんてエラすぎだよね♪
でですね、、
筆者は長い間「ジャズだよね~」と言われるのをなんとなく避けて歩いてます。
凡庸な1ジャンルの中の人的評価だわなって思うからかな。
「○○だよね~」と言われにくいものばかり作ろうとしてきてます。
なんだけどそれってレコード売り場で、どの棚に置いたらいいか決めにくい、つまり売りにくいわけね💦
そんな自分だから余計に、スタイルとしては凡庸でもスゲぇなって思わせてくれる演奏や曲には心底感心してしまいます。
ちなみに最近の拙作↓
https://linkco.re/GuzBaf8G
https://linkco.re/YzT8Evss
話を戻そう。R&B って言葉って…
スイングとかグルーヴとか。
色んなスタイルに分化したアメリカ音楽ではあるが、常に大切にされ続けてるのはソコなのでしょう。
スタイルごとに佳きとされる姿の詳細は様々ですが。
シャーマンの必要と通ずるところとも言えましょう。
と、ブルーズ。
程度の大小はあれ、アメリカ音楽があるからこそな存在する音楽に於いては、どんなのでも少なからずブルーズの語法で喋りうるし、その瞬間に Yeah!! は生まれやすい。
って思うと、リズム&ブルーズって言葉は絶妙にアメリカ音楽の本質を言い当ててるんだろなって思う。
ま、別の1ジャンル名になってますけどね。
ってなわけで本日のオモイツキ書き付け、こんなとこにしておきます。

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