和式の絶対音感教育、残念と未来への提案

音感・目盛り式・階段式

音高・音程の認識の仕方について。
目盛り式と階段式の2通りが世の中にあるようです。
目盛り式はアナログです。
階段式はデジタルです。

目盛ることであたかもデジタルっぽく見えますが、実は目盛りと目盛りの間は無段階に「中間」が存在します。
その分解能はトレーニングによっていくらでも細かくできます。
必要に応じて大雑把に目盛っても利用できる。
対して階段は、絶対的な間隔です。
その中間の存在を認めないという価値観です。

和式の絶対音感教育って…

さて近年モヤっと流行ってる絶対音感って言葉。
日本で行われているそれを目指した教育法の「求める結果」とは、

 「A=442Hzを標準ピッチとし、ハ長調の各音高をドレミファソラシドと呼ぶ。
 ドレミを階名ではなく音名として扱う。
 変化音にはシャープないしフラットを適宜つけて表す。
 (調性を重視する概念に乏しいため、シャープ・フラットの使い分けはテキトウ。
  オマケに、音名唱の際にはシャープ・フラットは付けないで歌う。)
 音律は平均律のみ。
 ある音高を聞いた瞬間にそれが、ドなのかレなのかミなのか、、、
 を感知できる人になるのが目的。
 その目的のために極幼少時に、特定の音高群とそのラベリングを直結させる。」

です。
その結果、そのピッチでの半音階からズレた音高は「オカシイ」「キモチワルイ」という人になります。
わりと不幸なんじゃないかしら?

その問題と解決提案

実際の音楽は442Hzではないピッチで演奏されることも多いし、平均律ではない音高を求められることも当たり前にあるからです。
たとえば厳密にハモろうとするならば、そこでは必ず純正律的音高コントロールが求められます。

演奏技術上の問題で、アンサンブルの中で違ったピッチで演奏し続け、修正不能な人が居れば、他の奏者はその人に合わせるか、クビにするかのいずれかでしょう。
もちろんその人にオカシナ音高を覆って余りある音楽的表現の魅力があるならばクビにはできないでしょう。
つまり、演奏団体として精神衛生上の健康を保つには「合わせる」が不可欠と思います。

もうひとつ残念なこと。
本来は階名であるはずのドレミを絶対音名として扱うことです。
絶対音感と固定ドが堅く結びついた人だと「ドレミの歌」をFメイジャーで歌うのを不愉快に感じるそうです。

どんなキーであろうがドレミの歌の音楽的価値に違いは無いので、その人の声が最も活かせるキーで困らずに歌えるとよいのでしょうね。
その曲を最初にヒットさせた女優ジュリー・アンドリュースは実際 Bb dur(変ロ長調)で歌ってますし。
ところが、和式絶対音感教育を受けていると、そこに壁ができてしまいます。

私は絶対音感教育自体を否定はしません。
その能力を備えていれば便利ですから。
ただし、その能力のオーガナイズの仕方を誤るべきでないと思うのです。
特定のピッチに平均律で配置された音高のみを正しいと感ずる階段的音高感覚は、音楽の受容と表現に障害にならないかな?

ドレミを絶対音高の名称として扱うこと。
それは機能和声的音楽の感受性、すなわち「音程による緊張と緩和(テンション&リリース)と多層的引力構造がトニックを特定すること」などの感受性の成長を阻害しやしないかな?

そこで、解決策を提示してみます。
幼少時の絶対音感教育に於いて、感受した音高を「ドレミ」でラベリングするのではなく「周波数」その数字で名付けるようにしましょうよ(半笑い、半マヂ)。
小数点以下いくらでも細かい可能性はあるのだ、という認識と共に。

(「周波数で」は極論として、せめて「ABC」を「音名」のラベルとして音高と結びつくようにして、それとは別に階名としてのドレミもあるんだよ、って程度なら現実的なのでしょうね)

それができるならば、平均律も「適宜割り付けた目盛りの一種」として扱えるはずです。
その他の音律も扱うのに壁は無くなるでしょう。
その上で様々な目盛りの読み方の色々として、音名や階名を覚えれば佳いわけです。
簡単に言ってしまいましたが、どうなんでしょうかね?
誰か実験してくれるといいな。

絶対音感教育と固定ド唱法、一蓮托生の如くゴッチャにされてることが多いですね。
絶対音感を持っていれば固定ド、みたいな。
我が国ではそういう結果になるような教育がなされているので、そう受け止められるのも仕方在りませんね。

音感教育とは本来、音高・音程を感受する能力が目的かと。
固定ド(固定音名唱法)・移動ド(階名唱法)は、感受した音高をいかにラベリングするか、そして、機能和声での機能性を唱法で表現しようとするか否か、に関する話題です。
音感の有り様とラベリング法とは別物です。

音高を感受することについては、誰もが疑う余地のない周波数というモノサシで己の感覚を管理し、それを人に伝える場面に於いては、様々な表現法があるので適宜ふさわしい方法を選べるようになればよいのではないでしょうか?

音高の感じ方としては、硬直した階段式ではなく目盛り式のほうが、そして、
場面に応じて自由に目盛りのサイズや読み方を変えられる。
 
そんなやりかたが、音楽と人間のより楽しい関係のためになるのではないでしょうか。

 

と言いつつ、絶対音感を持ってるって羨ましいなって思うことは多いですよ。
なんたってアインザッツの瞬間にビクビクしなくてすむんですから。
いいないいな〜。

 

※絶対音感と固定ド、相対音感と移動ド、
 それぞれに不可分な事ではなく、
 絶対音感を持つ人でも相対音感は持ちうるし、移動ドのスキルも身に付けうる。
 それはむしろ当たり前で便利なことかと。
 ってことについてはまた別に詳しく書きますね。

(本稿は 2009-07-20 にFacebookに書いたものの清書再掲です。)

↑の件、超詳しく↓に書きました。御参照くださいませ。

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